再び何をしようとしているのか



2006年秋、庵野秀明氏がとある映画を作ることを
HPで発表した

その宣言にも似た文章を見て
心から強く殴られたように
それでいて
言い聞かせられるような
寝る前に読んでもらった絵本のようにすっと心に入ってくる感覚似た
不思議な文章に出会った

それを読んだ後に
すっと心が泣いた気がしたし

なんだか言いたいことを魔法のように形されてしまった気がして
ぼーっとただしていた

欠けたり隠したい部分を
さらりと言ってのけられてしまった気がした

瀬田行生という名前を背負ってから
いつの間にか
自分でいながらおざなりにしてきた気がした


悔しい気がした


別に誰も望んでいないのであるが
それでいて自分はそれ以上に何だか期待を背負っているような
高揚感が少しあったと思う
同時に



またしたい

けど

何ができるか分からなかった



それからぼんやりと頭の隅に瀬田行生の看板があり
引っかかっていたのです



その間にも色々なことがあり

笑えないくらいに軽薄な日々も過ごしたりもしたわけです



それでもその間また詩のサイトをやろうとは
真剣に心の底からは思っていなかったのでしょうか



パソコンには手をつけながら
詩を作ったり
HPを作り直したりすることは能動的にはなかったです


おまけにHPのサイト作りにいたっては
誰かの視線を気にして受けのいいものに偏重する傾向があり
ちょっと自分でも疑問が多かったような気がします


それでも消さずに誰かに見てもらおうとするあざとさが
自分のいやらしさの象徴でありました

勝手にもう一度やるならと肩に力が入りすぎていて
うまくいかないというのもありましたし



詩が生まれなかったという要因もあります





2008年秋
疲れていたのかわかりませんが、とてもフラットな気持で
自分の詩を読む機会がありまして
もちろん、昔の自分の詩をです


なんかびっくりするくらい
これ誰の詩ですか?という不思議な感覚で
新鮮に読んだし、新鮮さがあったような気がします


いくつかをランダムに開き読みました


自己愛ではもちろんないと思いますが
なんというか言い表せないプラスの感触がありました

お恥ずかしい限りですが



読むことは書くこと
書くことは読むこと

書いたものの最初の読者は作者であること



最初の読者に愛されることが大切



こんな簡単なことにやっと気がついた気がします




再び何をしようとしているのか



繰り返しの物語

誰もついてきていないのかもしれない


でも

また始めることにしました

作者である瀬田と最初の読者である瀬田が
詩と向き合う世界



一見すると「甘えた世界」なのかもしれません



それでも

再び始めようと思います




みなさんもよろしければお付き合いいただけたら
私、瀬田はとても幸せでございます




瀬田行生

2008年秋




 
 
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